時悠帖・五差路

まだ若いつもりでいたがついに老いを隠せなくなった爺の 時悠生活雑記

過去写真懺悔

写真ブログ名を「その日その時 この1枚」「あの日あの時」などとしていましたが、カテゴリーにも「あの日の1枚」と付けるようになって、懐古・回顧感いっぱいになりました。随分と爺さんじみたと我ながら思います。実際、そうなんです。

その「あの日の1枚」はホームページ「爺の時悠空間」のカテゴリーの一つですが、今後しばらくは週1予約投稿を続ける予定です。ホームページをそれ風に作ってはみたものの、その位置づけが今一つはっきりせず、コンテンツを今後どうするんだということもあり、爺さんなりに考えていました。また、写真帖ブログも写真を撮りに出かけていないので載せるものがないのです。いい考えが浮かんでこないので、写真帖ブログの過去写真を1枚ずつホームページに載せてごまかそうとなりました。でも、例年、冬場は撮りに出かけることが少ないのです。今月分(といっても2記事分)はどうにか確保しましたが、過去に遡っても来月以降分は枯渇しそうです。これだ!といういい過去写真がないのが現実でした。

押入れに入れっぱなしで保存状態の悪かったアルバムの、北海道一人旅の一コマです。旅先では風景ばかりを撮っていて人物の写っている写真はほとんどありません。写真はたくさん撮ったけれどそれを全部プリントしたんじゃ大変です。ベタ焼きにして数枚だけをプリントしていました。カビだらけネガ、ベタ焼き、アルバムは終活の一環としてすでに処分済み、もう復元できません。

その北海道一周一人旅は1974/05/18~05/30、随分と長い間、会社を休ませていただきました。強引に休んだような気もしますが。

知床へ向かう時の旭川駅だったでしょうか、夜行列車を待っていました。並ばないと座れません。ひょっとすると並んでももう座れないかもしれません。ホームでは結構乗客が待っていました。ふと振り返ると、数人あとに若い女性も待っていました。声を掛けることはしませんでした。列車が到着して乗車開始、私は辛うじて座ることができました。彼女は?・・ 乗り込んできましたが座れませんでした。一瞬目が合ったような気がしますが後ろから押されて奥へと進まざるを得ませんでした。どこまで行くんだろう、私と同じように遠くまでかな? あぁ、声を掛けて席を譲ればよかった。今でもそう思います。このことに関して長い長~い間、せめてブログ上でお詫びしようと思いながら、今日になってしまいました。あの日あの時の彼女、すみませんでした。