時悠帖・五差路

まだ若いつもりでいたがついに老いを隠せなくなった爺の 時悠生活雑記

名で呼ぶ

ある日、誰かがインタホンを鳴らした。カミさんは不在、仕方なく私が対応した。
「○○です」と姓を名乗られたけれど「えっ、○○さん??」
(知らないなぁ、また、宗教・選挙・押し売りの類か)と一瞬思った。
「(携帯に)電話したんですが奥さん出られなかったので…」と言われて、んん??。
姓の○○、それから思い浮かんだ名前を言ってみた。「△△さん??・・ですか」
ピンポ~ン、カミさんの友達がお土産を持ってきてくれたのだった。

しばらく経って帰ってきたカミさんに「○○という人がお土産を持ってきてくれた」と話したところ、「あ、親友の△△ちゃんだ、お礼の電話しておく。」
そのお礼の電話では、○○さんは嬉しがっていたとのこと。すぐ名前を言ってもらえて嬉しかった、旦那さんに必ず伝えて欲しい、と。

カミさんの多くの友達の顔はよく覚えていないけれど、姓名は大体知っている。なぜか。パソコンによる年賀状印刷はこれまで私が担当していたから。(今年から年賀状廃止)

そうだよな、もう何年も会っていないのに名前を憶えていてくれる。私も名で呼ばれたら…、ぐふぐふ、嬉しくなるよなぁ。
よ、よ、よし、久々に友達に会ったら、姓ではなく名で呼んでみよう。むふむふ…

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あなたもわたしも

ピーポーピーポー、救急車の音が鳴り響く。救急車だけではない、消防自動車の音もよく聞くようになった。パトカーらしきサイレンも時々聞く。
消防署(本部)、警察署が近くに引っ越してきた。だから、サイレンの音もよく聞こえるようになった。市民病院も近くに引っ越してきた。
もう言うことはない。いざとなれば… すぐどうにかなる、みんな近いのだ。その、いざ、がない方がいいのだが。(近いと言えば聖苑も近い。これから入る墓苑は遠いけれど)
でも残念なことに、その三者ともすでにお世話になってしまった。お世話にならずに済む方が良かったのだけれど…、近かったのが救い、と自身を慰めている。

先日、日本の高齢者動向レポートが発表された。それによると、
65歳以上(高齢者)人口は総人口比27.7%、世界で最も高い。男性24.7%、女性30.6%。
70歳以上は総人口の19.9%、75歳以上は13.8%。
高齢者就業率は男性30.9%、女性15.8%(2016年時点)。

まさに高齢者社会。わたしもあなたもあのひとも高齢者=65歳以上。車を運転していてもよく分かる。
その高齢者のうち、健康な生活を送れているのはどれだけの比率なんだろうか。
平均寿命よりは健康寿命、というのを数年前に学んだ。一時は「よし!」と思ったけれど最近は(も)ゴロゴロしていることが多く健康とは言えない日々である。○○予備軍なり。

maruyosi.hatenablog.com

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老いるということ

私は親・兄弟みんなの誕生日を覚えている。だから、父が還暦を迎えたのも知っていた、いや、あとで知った。還暦祝いをした覚えはない。母の還暦も同様だ。だいぶ前のこと。
なんて薄情な息子なんだ、と今になって悔いている。

その父が亡くなって丸9年近くなる。
… 母は台車に乗せられて運ばれていた。知っている顔が見える。周りの声はよく聞こえ、誰かが話している。「よく燃えるように油を用意したか」‥ どこに連れて行くんだろう。
と、そこへ父の顔が。「なんでここへ来たんだ。今すぐ帰れ」と怒鳴り帰された…
父の死後まもなくそんな夢を見たんだ、と母から聞いた。その話が正夢じゃなくて良かったのだ。

母も年を取った。「一緒に逝こうと話してたのになんで置いていったの」「早く迎えに来て」と父に話し掛けているらしい。時々電話すると聞かされる愚痴、もう何回聞いたであろう愚痴、愚痴を言いたくなる理由もわかる。だからといって私がどうにかしてあげられるわけではない。その愚痴はもう何回も聞いたよと言いたいが、言っちゃったらもう母には、少しはストレス解消になってるかもしれない愚痴を聞いてくれる相手がいなくなる。黙って聞いてあげるしかない。
もう家の中でもあまり歩けなくなっているけど、幸いにも耳はまだ遠くなっていない。だから、弟たちも週末には電話している。私が電話するのは、他に誰もいなくてお互い気兼ねなく愚痴を言ってそれを聞いてあげられる限られた平日である。

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購読しているあるブログに読書感想が載っていた。
松浦晋也さん(科学ジャーナリスト)の実体験、介護ノンフィクションの「母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記」

老いを止めることは出来ない。認知症の進行を遅らせることは出来ても完治させる特効薬もない。認知症サポーター養成講座を受けたことはあるが実際に介護したことはない。頭では分かってもいざ介護となったら、やさしく接してあげられる自信は全くない。
誰でもなる可能性のある認知症、お名前だけ知ってる松浦さんの実体験、読んでみよう。
朝早くポチッとして、会員でもないのに翌日お昼過ぎには郵便受けに入っていた。便利になったものである。

読みながら自分なりに感じたキーワードを最初の内は書き留めていた。
認知症介護はストレス、認知症と認めることの怖さ、介護の予想外の敵‥通販(定期購入)、食事、失禁、排泄、家族による介護はいつまで… その他いろいろ。

認知症ではないけれど、連れ合いに対する私の普段の接し方はやはりきついものがある。読み終えてそう感じた。
頭では分かってもなかなかそうできない。私が先に逝くんだ、と楽なことを考え、現実から逃げたい自分自身が情けない。

★★★(3点満点)読書感想は書きませんが、お薦めできます。

好きなように生きる?

この世に授かり育てられ、やがて就職自立し、結婚育児、退職、そしていつか訪れる死。
その間、いろんなことがある、あった。

自分のことは自分で決める。
他の人や世間一般はそうかもしれないが自分はこうだ、と端から撥ねつけない。
かといって、多数決に傾くのではない。
決めかねるときには意見助言をありがたく頂く。その助言を参考に自分で決める。

理想論だが、自分のことだったらそのように行動できる。自分のことじゃなかったら‥。
自分のことは自分で決めてきたんだから相手に押し付けは出来ない。
助言しようとしても相手が受け付けなかったら・・どうすればいいんだ。

病気になる前に好きなように生きる。病気になったら好きなことは出来なくなる。
その病気を治そうとしないの? 諦めちゃだめだよ。

でもなぁ~。
どうせいつかは死が訪れるんだ。だったら、今、そしてこれから、出来ることは何か。
今・この時をそれなりに(楽しく)生きていくしかない。

マイナス面だけ考えてないで開き直ってみたら少しは楽になった。

月日が流れる・・ 生きていくためには・・
健康な心と体、それを維持していくための環境、資金。

幸せって何だろう。
親と子、夫と妻、嫁と姑、世間はどの程度うまくやってるんだろう。

夢見る時悠生活には程遠い毎日である。心の余裕が欲しい。

(コメント返信できません)

○の居ぬ間に洗濯

友達と1泊旅行に行くというので駅まで送っていった。
梅雨の時期であり台風による心配もあったが、幸いにも宿泊先の今日明日は大雨はなさそうである。のんびりと過ごして日頃のストレスを解消してほしいものだ。

家に帰って何気なく鏡を見た。
おっ、いつもと違う顔じゃないか。なんか顔が緩んでいるぞ。
そりゃそうだ、のんびり過ごせるのはこの私もなんだ。お互いに良かったじゃないか。
頻繁だとちょっと困るけど、たまにはお互い好きなようにのんびりと過ごすのはいいことだ。月に1回はいいぞ。もっと‥? いや、それくらいでいい。

さて、何をするかな。○の居ぬ間に‥
洗濯は毎日やっているからたまには部屋掃除、普通に生活していても埃は溜まっていく。昨日、カレンダーを今月分に変えたら棚の上の方からかなりの埃が落ちてきた。
次に、風呂は毎日洗っているつもりでもあちこち黒ずんできている。こりゃ漂白が必要だ。刺激臭が漂うからほかに誰もいない時がいい、そう、今回のように。
あとは、夕方明るいうちからビールを飲もう。これはいつもと変わらないけど。
そして、明日は‥ 夕方まで特にないなぁ。

なんて考えてるうちに、もう半日が終わりそうである。

シルバーゴールドのぼやき

現在の運転免許証はシルバーながらゴールド!である。
でも正直言って、心・体力の維持が危うくなってきている。
4年後は高齢者講習を受けて免許更新、どうにかそこまではいきたい。大丈夫かな。

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運転していて、これから行く先はどこだっけ、どの道を通ればいいんだ、と、ふと忘れることがある。ふと なんだけれど、これがいつも、となったら困る。
平均寿命が延びたとはいえ、自分自身よくここまで生きてこられたと思っている。(と言うと、もっと年配の方に怒られるけれど。シニア友は私と違ってホントに元気なんだ。)

今住んでいるところは車がないと生活に少々支障をきたす(その言い方は大袈裟としても不便となるのは確かである)。
マイカーの維持費だけを考えればその都度タクシーを使ってもいいんだろうけれど、そんな問題じゃない。好きな時間に好きな所へさっと出掛けられる、これが前提である。
そういう前提で言えるのは、健康で運転に支障がない、というさらに大きな前提があってのこと。
あなたは今日から運転できません、と言われたらどうする?
困った、困ったなあ、困るよ、と言ったって、運転できなくなったら・・。
・・過去には戻れない。

・・・

月日の経つのは早いもので・・あれからもう〇年・・なんて書くことが多い。
年をとったからだろうか。でも、そう書かざるを得ないくらい時間の進みが早いのだ。
その日その時を大切にしよう、なんて書いているのにそう出来ていない。
徐々にあるいは急激な心身・環境の変化がある。
どうせいつかは、などと半ばやけ気味に考えることが多くなってきている。
自身がそうなのだから家族にアドバイスなんて出来るわけがない。
この先のことを考えると…