時悠帖・五差路

まだ若いつもりでいたがついに老いを隠せなくなった爺の 時悠生活雑記

後ろめたい

あるブログを読んでいたら

怒らない、怒らない
・・・・・(怒ってもしょうがないからね)
(中略)
んんん・・・・・(怒らない怒らない!)
無事喧嘩せずに……

というのがあった。その一つ前の記事では

「怒りスイッチ」ができたんかな?
(中略)
つれあいの言葉が心の中に塵となって溜まっていくのを感じる
むふふ (不気味に笑う)
このあとどうなっても自分の人生だ

とある。旦那さんに対する心情を述べたものだが、まるで私が言われてるような気がしてならない。他の記事を読んでもいつも反省させられる。先ほどのようなことを書いてはいるがこのご夫婦の場合は、なんだかんだ言って、実に仲がいいのである。また、連れ合いさんに対してなんと思いやりのあること。真似できない。私はいつまで経ってもちっとも変われないでいる。

コロナ禍が終息しない。もう無理なんだろう。これから先、覚悟を決めて生活していくしかない。その時はそのときだ。そのコロナ禍のため(無駄な言い訳)ここ数年帰省を先送りしてきた。実家では老いた親の面倒を弟がみている。しょっちゅうちょっとしたことで転倒、打撲・出血の連続のようである。ほとんど歩けない、食べられない、弟の言うことは聞いてくれない… 老々介護、現実になってきた。暖かくなったらホントに帰省を考えなければ・・・。遠く離れた地の私は、こうしてブログを読んだり書いたりしている。後ろめたさを感じながら。