時悠帖・五差路

まだ若いつもりでいたがついに老いを隠せなくなった爺の 時悠生活雑記

老いてきて

生あるものみんな、いつかは寿命を迎える。家族・親戚、親友・知人、誰もが最期を迎え、お互い永遠の別れとなる。長生きしてふと気がつけば周りにはあまり付き合いのない者ばかり、そういうこともあり得る。だからこそ、普段からの近隣との付き合いは大事なんだろうけど、近隣も年寄りが多くなっている。親戚や知人、もう誰もいなくなったよ、と母が寂しそうに言っていた。その寂しさがじわじわと自分へも押し寄せてきている。

老いてくると若いときにできたことができなくなってくる。私はまだ車を運転しているが、まだまだ運転できるぞと思えるときがある一方、もうやめた方がいいんじゃないのと感じるときもある。老い・身体能力の低下は防げない。数年前のグループ行動で先輩の車に乗せてもらうことがあった。結構リラックスして運転しているけどそれ危ないんじゃないのと思うことがあった。その後、お互い年を取ってきたからこれからはなるべく公共交通機関で、という声が出た。お互い、いつどうなるか分からないんだから、乗せてもらう乗せてあげる、ということをやめてこれからは公共交通機関。となれば自然とグループ行動に参加しにくくなる、機会が減っていく。いつでもどこへでも公共交通機関というわけにはいかず仕方のないこと。こうして、ここでも友人との付き合いが少なくなっていく。私にとって、つれあいにとっても、老いるということは寂しいこと。

終活ってどこまでやればいいんだろう。私には完ぺきにはできないから、これまでやったことだけでもう十分かな。いや、十分ではないかもしれないが、あと数年は生きたいのでこのまま空白期間をおいて、そして、周りには迷惑をかけるかもしれないがある日パタッ、と逝きたい。それまでは、これからも、二人だけでどうにかやっていくしかない。