時悠帖・五差路

まだ若いつもりでいたがついに老いを隠せなくなった爺の 時悠生活雑記

世の中、便利に?

物を買うと取扱説明書が付いてくる。でも、この説明書はなんと分かりにくく書いてあるんだろう、と思わせるものが多い。初めて携帯電話を手にしたときは、あの小さな文字で結構厚みのある説明書を最初から最後まで何回も読んだ。おかげでそれなりに使いこなせるようになった(気がした)。分かりにくくても何回も読めばそれなりに理解できる、というもんだ。

最近は・・・あまり読まない。年を取るとともに小さな文字が読めなくなってきた、ということではない。読まなくても直感的にそれなりに操作できる製品がでてきている。大雑把な説明文だけでそれ以外の詳細は別途ダウンロード、なんてものもある。世の中、便利になったね。製品の中に小っちゃいコンピュータが入っていて声を出して操作を教えてくれたりするんだから。

20年以上使ってきたガスコンロを買い替えることになった。「選ぶにあたって何を重視されますか」「そりゃぁ年を取るとまず安全面だね」「それでしたらこれがお薦めです。また、メニューを選ぶだけで操作を教えてくれますよ」なんて調子ですんなり決まった。

しかし、一番大事なことを忘れていた。いくら安全面で考慮されていても、いろんな調理をメニュー選択できても、それら数多くの機能をよく理解し操作できるのか、ということを。年とともに理解度が落ちてきている、という現実を。都度、説明書を眺め、あ、載ってないぞ。

高機能を実現するために部品・回路が複雑になるとそれだけ故障が多くなる、ということはないのだろうか。便利さばかり追求せずに基本に立ち返る、シンプル is ベスト。と言ってみたが、世の中、便利になってきたもんだ。