時悠帖・五差路

まだ若いつもりでいたがついに老いを隠せなくなった爺の 時悠生活雑記

忘れられた日

ある日のこと。朝、いつものように目が覚めた。新しい朝を迎えられたことに感謝し、今日も一日何ごともなく過ごせますようにと願う。そして、やはりいつもと同じような会話を交わし、コーヒーを飲みながら新聞をサッと読む。そう、いつも通りの生活である。

その朝、ちょっと物足りなく感じたことがあった。ひょっとして忘れたか。いや、そんなことはないだろう。でも、全然その気配はない。

朝食後、コーヒー持ってPC部屋に籠もろうとしたら何か言い掛けられた。でも、すぐに「あ、何でもない…」「そうか、じゃ」とその場から離れた。

PCメールやWebニュースをチェックしているうちに時間が過ぎる。時間は止まらない。時間は大切。私の時間はあとどのくらい残されているのだろうか。もしスイッチがあるなら設定できるなら、特定の日をセットしておきたい。その日が近づいてきてまだ早すぎると感じたらもう一度設定し直せばいい。

20分くらい経ったんだろうか、突然部屋に入ってきて「言いたかったんだけど、ずっと我慢していた。お め で と ぅ」。

忘れたんじゃなかった。言いたくても言い出せなかったんだ。無理しなくてもよかったのに。なぜ、そんなことになったのか。それは「おめでとうと言われて喜べる年じゃないし、こんな年になって身体があちこち痛くなるし、これから先どうするんだ」などと言ったことがあったから、だそうだ。そうなんだ。「忘れたいよ、忘れたよ」、そんなことを口癖のように言っていたのだ。それなのに、いざ、何も言われないと、少し寂しく感じたのは事実。その日を迎えられるということは、やっぱり、嬉しいことなんだよ、普通は。
はい…、いつまでたっても素直じゃない。
 

一昔前は60で おじいさんおばあさん、今は60,70 まだ ひよっこ、と先輩に言われた。はい、ひよっこ です。シルバーのゴールドになったことだし、あとどのくらいか分からないが、ひよっこはもう少しぴよぴよ歩いたり車を走らせたりしたいと思った。コロナ禍、収束してくれ~。