時悠帖・五差路

まだ若いつもりでいたがついに老いを隠せなくなった爺の 時悠生活雑記

寒中お見舞い申し上げます

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結婚してから初めて二人だけで新しい年を迎えました。でも、おめでとう の言葉はありません。
いつも通りの新しい朝を迎えました。
いつも通りであっても、新しい年・新しい朝を迎えられたことに感謝です。
そう、いつも通りです。
晦日はいつものように9時前の早寝、元旦も5時には起きて、コーヒーを飲みながらページやチラシの多い新聞を読みました。

年賀状は毎年出していましたが枚数を少しずつ減らし、数年前にやめました。失礼になるかもしれませんが返事も出しません。

その代わり、暑中・残暑見舞いを出しました。その類はおそらく受け取ることが少なく目に入りやすいでしょう。時候挨拶を兼ねた、私は生きているよという証になります。

しかし昨年、コロナ禍! 収束する気配が全くなく、暑中・残暑見舞いも書く気にはなれませんでした。

でも、年賀状や暑中見舞いをこちらから出さなくても年賀状を毎年送ってくれる人はいます。ありがたいこと、うれしいことです。
その方々へ今年は、喪中により年始の挨拶を控えさせていただいたとして、寒中見舞いを出すことにしました。

年をとってくると、いつ命が果てるか分かりません。生きている証を示す連絡手段を残しておいた方がいいのではないか、やめようと思っても送ってくれる年賀状、それなら復活させてはどうか、と思ったのでした。

新しい朝を迎えられたことに感謝し、皆さまのブログへちょい訪問しながら(でも、☆付けは少なめです)、今日一日を過ごしたいと思います。明日も新しい朝を迎えられますように。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。