【メモ】
とちぎ県民だより vol.354 (2020/06) 及び 栃木県ホームページ(県民の日・とちぎの由来)から抜粋
栃木県の生い立ち
1871年(明治4)に廃藩置県が実施され下野国(栃木県域)で10県が成立。その後、統合が進められ、宇都宮県と栃木県の2県になる。
1873年(明治6)6月15日、2県が統合され、おおむね現在の栃木県が成立。栃木町(現栃木市)に置かれた県庁は、1884年(明治17)に宇都宮町(現宇都宮市)に移された。
県名の由来
最初の県庁所在地である栃木町に由来。・崩壊地説:栃木町内を流れる巴波川がたびたび氾濫を起こしたことから、ちぎれた地形(浸食された地形)の動詞「チギ(る)」に接頭語の「ト」が付いた
・トチノキ説:トチノキがたくさん生えており、それが転訛した
・十千木説:栃木町内の神明宮(神社)社殿の屋根にある2組の千木と8本の鰹木が遠くから見ると10本に見えたことから、神社の辺りを「十千木」と呼んだ
(参考 https://ji-photo.hatenablog.jp/entry/2015/05/22/170000)
・遠津木説:古事記に登場する豊城入彦命が 木(毛)の国(現栃木県)と木(紀)の国(現和歌山県)を区別するため、遠く離れた木の国という意味で「遠津木」と命名したものが転訛した
県民の日のイベント等が中止となって出掛ける予定がしばらくないので予定表もほぼ白。今日6/15が県民の日だということを、つい、忘れそうになるのでメモ。