時悠帖・五差路

まだ若いつもりでいたがついに老いを隠せなくなった爺の 時悠生活雑記

あなたは何を持って逃げますか

このたびの台風4号及び新潟県中越沖地震により被害を受けられた方々に心からお見舞い申し上げます。

火事は注意すれば未然に防ぐことができますし、台風による被害・進路もある程度予想でき、それなりの対策もできます。

しかし、地震はいつやってくるか予想はできません。

地域によっては今後数年以内に大地震が発生する確率は極めて高い、まではわかりますが、それが具体的にいつか、となると誰も予想はできません。

突然襲い来る大地震、あなたは何を持って逃げますか。

私のこれまでの地震経験の最大は5(今の基準では5強以上)です。

忘れもしない、昭和43年5月16日09:48、物理の授業中でした。

そのときは地震の収まるのをただ待つのみでした。

余震も続き、怖い数日間を過ごしました。

今回の地震はそれよりももっと大きなものです。

地震が起きてからでは持ち出すにも家の中に入ることはできず、さらには住む家がなくなったりもします。

楽しかったこと、うれしかったこと、それらの思い出の品もなくなり、悲しいいやな記憶だけが残ります。

失うものが大きすぎます。

せめて、大事なデータや思い出だけでも USBメモリに保存して常に持ち歩いたら、と最近考えるようになりました。考え過ぎでしょうか。

あなたは何を持って逃げますか。

 


日記 2002 から抜粋

9/1 防災の日特集。私が体験した「1968年十勝沖地震」を思い出して

 私は学生でしたからまじめに!授業を受けていました。

あまりにも大きな揺れが長く続き、当然机の下に隠れました。

揺れが収まってからわかったのですが、私の脇のスチーム暖房(幸いにも5月のため停止中)の配管が床部分で破断され、廊下に出ると、柱のコンクリートが無残にも砕け落ち鉄筋が剥き出しになっていました。

校舎はとても使える状況になく、その後は体育館の間仕切り&プレハブ校舎となりました。

弟は確か函館への修学旅行途中で、どうにか無事に帰ってきたように思います。

八戸の震度は5と発表されましたが今の基準では5強位だったようです。

余震も長く続き、不安な日々でした。

もう次第に記憶が薄らいできています。

[参考文献:気象要覧、気象庁技術報告 1968年十勝沖地震調査報告、その他]

本震:1968年(S43)5/16 09:48:53、M7.9(深さ0km)震度5

余震:5/16 19:39、M7.5 震度4〜5、 6/12 22:42、M7.2 震度4

青森県東方沖の広い範囲を震源域とするプレート間地震

前日までの3日間に所によっては200ミリ以上の雨、地盤がゆるんでいた

津波第1波到達10:19(幸いにも干潮であった)、最高値観測5.7m

死者49人・不明3人、負傷330名、

建物全壊673棟・半壊3,004棟、全焼13棟・半焼13件、

床上下浸水・一部破損15,697戸、その他建物の被害1,781戸、

水田の被害456カ所・水田冠水572カ所・畑の被害12カ所・畑冠水8カ所、

道路損壊420カ所・橋流失25カ所・堤防決壊40カ所・山崩れ51カ所、

鉄軌道(線路)被害60カ所・通信施設被害119件、

木材流出200件、船舶沈没30隻・流失97隻・破損126カ所・小舟105隻

被災世帯数4,538戸・ 被災者概数22,343人

参考:1952年十勝沖地震 M8.2、1923年9/1関東大震災 M7.9