枝の切り口から滴り落ちてます。
つぼみが出番を待ってます。
二十六分の一
生活のリズム・意識、時間の使い方が年末年始にちょっとずれ、三箇日が過ぎ、多くの方が通常の生活に戻ったであろう6日になっても年中有休(有給休暇ではない)の私は変わらず、今日になってしまった。
もう1月の半ばである。1年52週のうちの2週間である。何もしなくても一生懸命何かをしていても時間が過ぎていくけど、それぞれ感覚は異なる。
正月に入ってからのブログは流し読むだけ☆なし、そのうちにフィードリーダーで
それこそササッと済ませるようになり、随分と時間が節約できた。(のだろうか?)
おっ、いいこと書いてあるな、と思ってもログインしていないから、まぁいいっか、
それで終わってしまう。味気なく物足りなく感じた。
昨日は遠くから富士山を眺めた。遠く離れていても、冬場の午前中はよく見えることが多い。
朝の出勤時には運転しながらよく見たものだ。偉大な、雪化粧の富士山を見ると、その日の気分が少し違ったような気がする。
そんなことがなくなって数ヶ月。お構いなしに時間は過ぎていく。(いつも書いてる)
今朝は久々にじっくりと、ブログ過去1日分を読んだ。夜明け前にそれだけの時間が
とれた。夜が明けると、、
今朝は太陽が見えない。関東南部でも雪が降るとか言ってた。春はいつやってくる..
今日・今年から 明日・来年へ
とうとう今年も今日で終わりです。早いですねぇ、月日の流れは。
ある日は喜び、ある日は怒り、ある日は哀しみ、そして、ある日は楽しむ。
そのような一日一日が過ぎ去って、365日間に達しました。
時間は止まりません。
ここまで来れたことに感謝し、反省もしながら、今日から明日へ、今年から来年へ。
どうぞ皆さま、よいお年を。
あ、書き忘れていました、年末年始のことを少し。
大晦日には年越し蕎麦を食べ、レコード大賞や紅白歌合戦を見て、その後、懐中電灯を持ち家族で数十分歩いて櫛引八幡宮へ初詣、というのが子どもの頃のことでした。
今は、、ここ数年は10時過ぎると眠くなり、除夜の鐘を聞く頃にはすでに眠りについてます。家族に合わせてテレビを見続けることはありません。0時ちょうどに秒針を合わせていた腕時計は電波時計となりその必要もありません。
お正月(年末年始)だけは、食べながらテレビを見ることが許されました。「チロリン村とくるみの木」や「ひょっこりひょうたん島」などですね。クルミ・ゴマ・きな粉など(好きな順番)でつきたてのお餅を食べたこと、早く食べたくてクルミすりの手伝いをしたことを思い出します。これらも子どもの頃のことです。
今は、、テレビ見ながら食事は当たり前のようになってます。腹いっぱいお餅を食べることはありません。餅+クルミだれ、カミさんは知りませんでした。初詣は元日か二日の朝、車で須賀神社へ。お御籤は一度だけ大凶。こうしてまた1年が始まります。ということで、改めて、
皆さま、よいお年を。
今週のお題「私の年末年始」
年を忘れる会?
「忘年会」という言い方は好きではありませんでした。
「忘年会?! 年を忘れる会? 酒を飲んで嫌なことを忘れようとしても酔いがさめたら思い出すじゃないか。夏の暑気払いという言い方はまだしも、年末に年を忘れる会なんて言わずに単に飲み会と言えばいいじゃないか」
社会人になりたての頃は素直じゃなかったんですね。(もっとも、性格は年をとってもそう変わるもんじゃない、と思ってますが..)
最近になってちょっと変わりました。
忘年会、それは年を忘れること。1年間の苦労や嫌なことを忘れるんじゃなくて、自分自身の年齢を忘れること。
おそらく一般的な解釈ではないでしょう。が、そういう解釈にしてみたんです。
これ以上年をとりたくなくて、誕生日を忘れたいくらいですから。
今夜はその忘年会でした。
ある学びの仲間が集まったのですが、この私は若い方なんです。
実年齢が私より10歳年上でも、年齢差を感じさせないんですよね。
普段いきいきと活動されてるから、それが心身に現れるんだろうと思います。
「忘年会?! 年を忘れる会?.. 」なんて小難しく解釈しないで、もっと柔軟に、、。
と、忘年会を楽しんできました。
あ、新年会の話が出たけど、結論が出ないで終わってしまった。お〜い、新年会は?