時悠帖・五差路

まだ若いつもりでいたがついに老いを隠せなくなった爺の 時悠生活雑記

暑くても熱いものを

毎日暑い日が続いてます。
朝起きて涼しく感じてもすぐに部屋の温度はグングン昇っていきます。
ホントはすでに暑いんだけれど涼しく感じた朝のコーヒー、やはりアイスよりはホットの方がいいです。さすがに35℃近い部屋ではホットは飲めませんが。

id:jijiro さんのブログ「夕焼けをグラスに混ぜて在りし日々/いずぃなり」の写真を見て、カップ麺を食べてみたくなりました。
jijiro.hatenablog.com

まとめ買いした10個の「どん兵衛鴨だしそば」が囲炉裏の周りに並べられ、「出汁が最高に旨い。汁は一滴残さず飲み干した」とあります。
そんなに美味しいんじゃ、一度食べてみなければなりません。実は、カップ麺は年に1~2回くらいしか食べないというこの私。

「忘れてなかったら1個買ってきて」と、出掛けようとしているカミさんに頼みました。
「あ、これ、見掛けたことある。でも、鴨(肉)と思ってスルーしてた。」(あまり、肉魚は好きではないのです。)

「買ってきたよ、試しに3個。一緒に食べてみるよ」。
駅ビル地下のお店で、忘れないようにと真っ先に買い求め、あとでそこを通ったらもうなかったそうです。@\139、jijiroさんに勝った(笑。他のスーパーにも立ち寄ったら@\149。
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食べてみました。確かに旨い。柔らか麺ではないのがいい。湯量が410ccという微妙なところがいい。
ビールを飲んだ後だったので汁は半分残しましたが、カミさんも美味しいと言ってましたね。
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毎日ビールが欠かせなくなりました。しかも、去年までは一人飲み350で十分酔えたのに、今夏はそれでは足りなく感じるようになってしまいました。
これまでビールは夏以外はほとんど飲まなかったのに、去年の夏から秋冬そして春と、週に1回程度飲んでいたら、今夏は毎日。。それでは乾杯(済み)。
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山を登り野を走る

ある大会に出た。
街道を走った。ある宿場町で旧友を見かけた。
その旧友は大会に毎年参加しているが、今年は授業があるからいないはずだった。
それとも休憩中か。茶店のアルバイトを楽しんでいるようにも見える。

目の前に現れたのは絶壁。そこを攀じ登るのだ。ルートは真ん中と左側。
私は左側を選んだ。草木をつかみ、足場を確認しながらほぼ垂直に近いところを登る。
途中、落っこちそうになりながら。真ん中の方が良かったのかな。
どうにかこうにか、そこは登り終えることができた。

工事現場にあるようなバリケードを潜り抜け、バシャバシャと小川を渡り、なおも進む。

昔のことを思い出した。小学校の運動会、親子リレー。
我が班には走ってくれそうな親はその場にはおらず、私が駆り出されてしまった。
走るのは苦手なのに。(苦手なのはそれだけじゃないけど)
バトンを受け取って走った、走った。後から追い越される心配がないけど必死に走った。
にも拘わらず、私の前の走者との距離は次第に広がっていった。どんどんドンドン。
出なければよかったよ! … 懐かしい、今になれば笑える昔の話。

ふと気がつくと、いつの間にか下の息子も一緒についてきていた。
一緒にゴールできそう。上の息子はもうゴールしたんだろうか。

さぁ、ゴールだ。テープを切るのではなく…、大きな声で
「とのぉ~、いま つきましたぁ~」

時計を見ると、丑三つ時だった。

行ってみたいと思いませんか、昔と今が混在する支離滅裂の夢の中へ。

同窓会

中学校卒業して30年のクラス会は今から十数年前のことでした。
30年ぶりに会ってもすぐ誰それと分かる人もいましたが、「誰だっけ?」と聞かざるを得ないくらい立派!?になった人が多く、年月を感じさせる5クラス合同クラス会でした。
いくら思い出しても、あとで友人に聞いても、「この人、誰? うちのクラス?」と言わせた外部侵入者?入り・クラスごとの集合写真も撮りました。
それから十年近くたって帰省した時に、そのときの幹事にひょっこり会い、近いうちにまたやるから、と聞いていたのにその案内はなく、今に至ってます。

小学校卒業以来初めてのクラス会があったのは一昨年でした。でもその連絡があったのは開催日直前、私はすでに他の予定が入っていて参加できませんでした。
中学校とは違ってわずかに40人程度の1クラス、男は確か16人と少数、その6年間でした。
やっぱり会いたかったですよ、みんなに、特に… ん十年ぶりの再会(笑。

次回は10年後…は無理だから5年後とした別のクラス会は、もうすぐ丸5年になります。
早いですね。でも、幹事は誰だったかな、はっきりと決めなかったような気もします。

一緒に学び、遊んだ仲間が集まったクラス会とは違いますが、昔にタイムスリップできる「同窓会コンサート」が2/27にありました。

出演者は、前回4年前と同じ 西口久美子(青い三角定規)、あべ静江あいざき進也、晃(フィンガー5) のほか、西城秀樹、尾藤イサオ大野真澄(ガロ)、山田パンダ(かぐや姫)、今陽子(ピンキーとキラーズ)、伊藤咲子、LILIES と懐かしい方々ばかりでした。

大きな病を患いリハビリはきついだろうけど頑張ってる秀樹さん..
病と闘ってる知人やクラス会で再会することなく亡くなった友達を思い出し..
.. 涙が流れ落ちるのを止めることは出来ませんでした。

ステージ最後はみんなでYMCA。余談ですが、Mのたびに私の頭がチクッ。
そうなんです。そろそろ爪切りしなきゃと思ってた時に薄くなった頭にM、チクッ。
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今陽子さんと一緒に写真を撮らせていただき、次回もまた聴きに来たいね・・・
懐かしさ一杯の、そして一人涙の、同窓会コンサートでした。

菊次郎とさき

小説「菊次郎とさき」(ビートたけし著)は2001年に初めてドラマ化され、2003年からは連続ドラマが3シリーズ、2012年には舞台化されたそうですが、私はいずれも観たことがありません。
今回、2度目となる舞台版(1/3~全国14ヶ所で公演予定)が我が町にもやってきました。
主な出演は、連続ドラマのときから変わらない 陣内孝則室井滋、梨本謙次郎、濱田マリ のほか、音無美紀子、鶴田忍、風間トオル です。

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地方の公演ではその地に合わせて内容のごく一部を変えているんでしょうか。
チラシでは、莫大な立退料が入る予定になり北野家の長男は長屋では誰も持っていなかったテレビを買ったことになってますが、我が町での公演では車を買ったことになっていました。確かに、車がないと日常生活が少々不便な所ではあります(笑。
新幹線で来られた室井さんは「意外と近いんですね。」
そう、近いんです。東京~大宮が25分、その大宮からはわずか17~18分、「おやまゆうえんち~」でも知られていました。もうだいぶ前になくなりましたけど。

笑いあふれる人情喜劇、我々観客が白菜に見立てられたり一緒に万歳したり、最後はホロっとさせられたりと、十分楽しむことが出来た「菊次郎とさき ~北野家の逆転!?金メダル狂騒曲!~」でした。

こだわり

カミさんが毎朝きっちりと掃除してくれるので恒例の年末大掃除は楽になり、また、私の担当分は激減して随分と楽をさせてもらった。
いつものように掃除をしているのを少々気にしながら私はテレビを見ていた。

今朝の番組の中に出てきた言葉や感じたこと・・・
こだわりの人生、言葉・文章にする面白さ難しさ、普通とは?、老人力...
私が読むブログでも、皆さんはこだわりをもって作品を作り、記事を書いている。持論を展開している。
私にはそういうもの・ことが足りない。
(中途半端は嫌いであるがそれは意固地からきてるのかもしれない。)
...そして思った。
そうだ、1年以上も持ち歩いていてまだ真っ白なメモ帳(B7サイズ)を今後も持ち歩き続け、スマホ予定表のバックアップとしてではなく、普段の生活で気になったり感じたりしたことをすぐメモるようにしよう。来年は こだわり を探してみよう。

こだわる:難癖・文句をつける、必要以上に気にする などの意味があるが、ここでは、妥協しない・とことん追求する のような肯定的・いい意味でいきたい。

つい昨日、新たにブログを作ってみた。このブログ 五差路 の旅歩足跡カテゴリーだけを抜き出したものである。「ちょい歩・ちょい旅」

(その後、ブログの整理を行い、「ちょい歩・ちょい旅」はなくなりました。)

パソコンで見る限り私の意図する見え方だと思う。(一部の画像が背景画像のように見えるように、2014年分を編集

(この時に意図したものは、「五差路写真館*1」に反映されています。)

スマホタブレットで見ることは考慮していない。(2015/1/6、iPhone, iPad / Retina Display では一応画像が見えるように修正した)
中途半端は嫌いであるが、残念ながら私にはこれ以上の力がない。
スマホタブレットでもOKな、このような感じのブログテーマが現れることを願って、今年は終わる。

*1:2020/04/30 カテゴリー[五差路写真館]としてこのブログに統合しました

僕の死に方 妻の生き方

いろいろな○活 がありますが、私の終活として、家族が知っておくべきことなどを取りまとめつつ
あります。押し入れの奥に入れっぱなしだったアルバム/プリント写真のパソコンへの取り込みも
その一つです。
そんな中、「僕の死に方」がちょっと気になってました。

先月の日帰り帰省の新幹線の中で読みました。
行きに半分、帰りに残りを読みましたが、帰りはうるうるしてきてどうしようもありませんでした。
しばらくたってから、続編といっていいと私は思うのですが、「妻の生き方」も読みました。

突然、余命宣告されたらどうしますか。
時間は限られている、その残された時間を精一杯生きる、なんて私には言えそうもありません。
誰でも絶望感に陥ると思います。しかし、そこからが違うのですね。何から何まで自分自身で
「残された命と確実にやってくる死」に向き合い始めるのです。
とことん前向きに進む、そして、とことん寄り添う妻。

41歳で急逝した売れっ子流通ジャーナリスト 金子哲雄 さんとその妻の、死の記録と生の記録、
お勧めします。(★★
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「息抜く力 生き抜く力」

「好きなもの」は人それぞれ、一致するのは難しい。「嫌いなもの」は共通しないと長く共にいるのは
難しく、いちばん大切な判断のものさしである。

「がんばれ、あきらめるな」という励ましは時と場合によってはかえって苦しめることになる。
「俺はこんなにがんばってるのに.. もっとがんばれというのか..」

死を迎えようとしている人たちの声で多いのは「死への恐怖」ではなく「1日が長い」という苦痛。
「もうこれ以上やらなくていいよ。ゆっくり寝てなよ」と声をかけるのは苦しみと向き合い続けろと
言ってるのと同じ。

どうしたら苦痛から逃れられるのか、和らげてあげられるのか。本人、そして周りの人、どう向き合えばいいのだろうか。

「未来から開放されている」 これは、何もやることがないのではなくて、何でもできるということ。

「死生観」

いろいろと、気付かされることや考えさせられるものがありました。