時悠帖・五差路

まだ若いつもりでいたがついに老いを隠せなくなった爺の 時悠生活雑記

大地震メモ

防災の日【メモ】今は更新していない別ブログからのコピーです)

私が体験した「1968年十勝沖地震」を思い出して(2002年の日記から)

私は学生でしたからまじめに! 授業を受けていました。
あまりにも大きな揺れが長く続き、当然机の下に隠れました。
揺れが収まってからわかったのですが、私の脇のスチーム暖房(幸いにも5月のため停止中)の配管が床部分で破断され、廊下に出ると、柱のコンクリートが無残にも砕け落ち、鉄筋が剥き出しになっていました。
校舎はとても使える状況になく、その後は体育館の間仕切り&プレハブ校舎となりました。
弟は確か函館への修学旅行途中で、どうにか無事に帰ってきたように思います。
八戸の震度は5と発表されましたが今の基準では5強位だったようです。
余震も長く続き、不安な日々でした。
もう次第に記憶が薄らいできています。

[参考文献:気象要覧、気象庁技術報告 1968年十勝沖地震調査報告、その他]
本震:1968年(S43)5/16 09:48:53、M7.9(深さ0km)震度5
余震:5/16 19:39、M7.5 震度4?5、 6/12 22:42、M7.2 震度4
青森県東方沖の広い範囲を震源域とするプレート間地震
前日までの3日間に所によっては200ミリ以上の雨、地盤がゆるんでいた
津波第1波到達10:19(幸いにも干潮であった)、最高値観測5.7m
死者49人・不明3人、負傷330名、
建物全壊673棟・半壊3,004棟、全焼13棟・半焼13件、
床上下浸水・一部破損15,697戸、その他建物の被害1,781戸、
水田の被害456カ所・水田冠水572カ所・畑の被害12カ所・畑冠水8カ所、
道路損壊420カ所・橋流失25カ所・堤防決壊40カ所・山崩れ51カ所、
鉄軌道(線路)被害60カ所・通信施設被害119件、
木材流出200件、船舶沈没30隻・流失97隻・破損126カ所・小舟105隻
被災世帯数4,538戸・ 被災者概数22,343人

参考:1952年十勝沖地震 M8.2、1923年9/1関東大震災 M7.9

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(maruyosi's 2nd LODGE ~ひまつぶし2~ 2011/12/28/daishinsai 再掲)

私がこれまで経験した最も大きな地震は震度5(当時の基準)、昭和43年5月16日09:48の「1968年十勝沖地震」でした。それ以来、少々の地震にはあまり驚かなくなっていました。
しかし今年の3月11日、次第に揺れが大きくなり、これでもかこれでもかと長?く揺れ続け、最初はのんびり寝そべったまま動かなかった私を「夢?!、こ りゃ冗談じゃない」と慌てさせた巨大地震が発生しました。
さらに、これまた想像を超える巨大津波が襲ってきました。
原発事故(レベル7)も起きました。

この東日本大震災で多くの方が亡くなりました。家を失いました。街並みが消えました。大自然の怒りには勝てませんでした。
あれから9ヶ月過ぎましたが、まだ以前の生活に戻れない方が大勢います。
厳しい冬ですがそれを乗り越え、笑顔を取り戻せるいい年になって欲しいと思います。
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東日本大震災東北地方太平洋沖地震
2011年(平成23年)3月11日14:46、Mw9.0、最大震度7小山市5+)最大余震(15:15)Mw7.7 最大震度6+
被害 死者 15,841人、行方不明者 3,490人(12月12日現在、警察庁発表)

津波てんでんこ」:津波が来たら各自てんでんばらばらに高台へ逃げろ。自分の命は自分で守れ。