時悠帖・五差路

まだ若いつもりでいたがついに老いを隠せなくなった爺の 時悠生活雑記

思い出は記憶の中に

元同僚から約2年近く預かっているアルバムが1冊ありました。
設備の写真ばっかりで人が写っているものはごく数枚だけというものです。
旧独身会の懇親会は毎年花見の頃に行われており、2年前にそのアルバムが回覧されたのでした。

40数年前に運用保守していた送信機、空中線、特高変電所その他設備、それに加えて人物が写っているものも多ければ、さらに懐かしさで盛り上がったことでしょう。
そのアルバムはいったん私が預かり、スキャンしてネット上で共有することになりました。

でも枚数が多すぎるなあ、人物主体だったらいいけど設備じゃ面白くないしなあ(写真として残す価値はあるかもしれないけど※)、それに、数ページは下部が虫食いでボロボロになっているし、アルバムから剥がすと元に戻せなくなりそうだし、などと言い訳を考えながら、個別写真ではなくページ毎のスキャンをしたのでした。
(※ 設備の一部は資料館内に保存・展示されていましたが、老朽化・東日本大震災等の影響で現在は立ち入り禁止、見学不可らしいです。)

そのアルバムは1年後に本人へ返す(場合によっては処分可という選択肢もあり)ことになっていましたが、昨年の懇親会は中止になってしまいました。
そしてさらに1年経過、今年は開催しますよ~というメールがあったので、アルバムの所有者に返却・処分について問い合わせました。

返信メールには、
「先日、終活の話しを聞く機会があったのですが、それによると、残された遺族が困るのが、アルバムの扱いなのだそうです。」
思い出となる写真はなかなか捨てきれないと思いますが、やっぱりそうですよね。
メールはそのあとに「ですので、今、決断いたしました。」と続いてました。
「ですので、今」‥「今」… 私が後押ししたみたいです。

ということで、非情な私はそのアルバムを処分することにしました。
とはいえ、どうも気になります。
設備の写真は全て処分しましたが、彼が住んでいた寮の部屋内の様子6枚と本人が写っている2枚、計8枚だけをスキャンして、どうしましょうか、と再度問い合わせました。
返ってきたメールには、
「思い出は記憶の中に残しておくのが美しい、と思うこととします」
とありました。
「と思うこととします」‥?? ホントにいいのかなあ…
最終的にはその2枚だけをメール添付して送りました。

そういえば「結婚したらエイボン川沿いを歩いてみたい」という私の小さくて大きな願いがありました。
昔、エイボン川のほとりを同行の一人と一緒に歩いたときにそう思ったのですが、その願いは叶わぬまま、相手は既婚でしたがその歩いたという楽しい思い出だけがPCの中へ‥
記憶は薄らいでいきます。PCもいつかは壊れます。

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