時悠帖・五差路

まだ若いつもりでいたがついに老いを隠せなくなった爺の 時悠生活雑記

記憶にない思い出

実は、一つ前の記事に出てきた兄弟の一人が私なんだそうです。でも、そこに書いてあることについては全然覚えていません。つい最近、実家に電話したときに母から初めて聞きました。
時々母に電話すると、同じことを何回も聞かされることがありますが、このように初めて聞くこともあります。

小さかった頃、サーカスを見に連れて行ってもらいました。
八戸から青森まで、当時は汽車でしたのでかなりの時間がかかったんだと思います。
球状金網の檻みたいな中をオートバイが爆音をあげて走り回っていたのは覚えてます。
大きな象が小さな台に乗ったような気がします。ライオンもいた.. んでしょうね 多分。
そしてその帰り、私は記憶ありませんが、列車の中で父が食中毒になったんだそうです。小さな子二人を連れて父の看病、それはそれは大変だった、と聞きました。

 母と電話している途中で涙が出てきて何も言えなくなったことが一度あります。
こちらからは何も話せない時間が続きました。どうしたんだい?、と聞かれました。
実は、と言うと、母も必死に涙を堪えながら話していたんだそうです。
余りにも可哀想な、でもそれは現実.. 二人で涙を流したのでした。

親と離れて暮らしている方、たまには電話してみましょう。
聞かされるのは愚痴が多いかもしれません。でも、親の意外な面や幼かった頃の自分を知ることが出来るかもしれません。
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私の今の年齢は当時の父の年齢をとっくに超えましたが、残念ながらいろんな面で父を超えることが出来ませんでした。
両親の元気なときにもっと親孝行しておけばよかった、と今になって思います。
せめて電話だけでも、と母への電話を心がけている最近です。