時悠帖・五差路

まだ若いつもりでいたがついに老いを隠せなくなった爺の 時悠生活雑記

記録 -> タイムスリップ

2日前に「記録・記憶のために」を書きながら一部曖昧であった。記憶? 何を記録するの、そこまで必要あるの..?

最近、世界文化遺産に登録された富士山、その構成の一部として忍野八海
と、テレビから流れてきた。
「そういえば、忍野八海へも行ったなぁ」「忍野八海? 知らない」
そんなことはないだろう。家族4人で、あちこち行ったじゃないか、忍野八海へも行っている。
でも、行ったことないと言われれば、さて、誰と行ったんだろう、いや、そんなことはない。。

パソコンに保存してある写真を探した。
いつのことだったんだろう、上の子が小学生のうちは家族旅行したんだから、と。
あった、あった。ファイル名:920722忍野八海05.jpg

f:id:saitoy05:20131125180444j:plain

「ここに写ってるのは確かに我らの子ども」「… …」
2泊3日であちこちドライブした記録写真が他にも残っていた。

わずか21年前のことじゃないか、もう忘れたの、と強くは言えない。
自分一人で運転し、写真を撮り、アルバムに整理し、そういうことをやった当事者だから覚えていたのであって、単なる同乗者・疲れただけだったから記憶が薄らいだのであろう。(本当にそうかな)
だいぶ前に子どもたちに家族旅行のことを聞いたことがあったが、あまり覚えていなかった。せっかく連れ歩いたのに。
(中学生になってからは一緒に出掛けたことはない)

脳裏に焼き付けたとしても、それが強烈なものでない限り、記憶は薄らいでいき、やがて消えてしまう。
何らかの記録を自分で残しておかない限り、その当時にタイムスリップは出来ない。