時悠帖・五差路

まだ若いつもりでいたがついに老いを隠せなくなった爺の 時悠生活雑記

八幡馬

f:id:saitoy05:20170812165632j:plain 私の故郷 青森県八戸市八幡馬は、福島県の三春駒、宮城県の木ノ下駒とともに「日本の三大駒」の一つに数えられる玩具です。

郷土玩具としては最も古いとされ、今から七百年以上前に京方面から一人の木工師が南部八戸に流れ着き、木工や塗り物を業とする傍ら、馬の玩具を作っていたことに始まるようです。

江戸時代、南部藩は馬の産地として有名であり、櫛引八幡宮例大祭の馬市で売られて行く愛馬の無事を祈って、木彫りの馬を求めるようになったと伝えられています。

www.kushihikihachimangu.com|櫛引八幡宮(くしひきはちまんぐう)

青森県から岩手県にかけて、一から九までの「戸」のつく地名があります。(四戸は現在ありません。姓はあります。)
この地名の起源は諸説ありますが、そのうちの鎌倉説は次のとおりです。

源頼朝が牧馬政策として糖部(ぬかのぶ)郡を置き多くの御家人を地頭に任命した。
その一人南部氏は、領内馬産地政策として糖部郡を九つの部(戸)に分け、一部(戸)ごとに七ヶ村と一牧場を置き、東西南北四つの門に属させた。