時悠帖・五差路

まだ若いつもりでいたがついに老いを隠せなくなった爺の 時悠生活雑記

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月日の経つのは早いもので・・あれからもう〇年・・なんて書くことが多い。
年をとったからだろうか。でも、そう書かざるを得ないくらい時間の進みが早いのだ。
その日その時を大切にしよう、なんて書いているのにそう出来ていない。
徐々にあるいは急激な心身・環境の変化がある。
どうせいつかは、などと半ばやけ気味に考えることが多くなってきている。
自身がそうなのだから家族にアドバイスなんて出来るわけがない。
この先のことを考えると…

微妙なバランス

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部屋の冷暖房の風や人の動きを感じて時々静かに動きます。球の中には小さな人形2体が入っておりバランスを取っています。
こういうものには近づかない方がいいです。決して手で動かしたりしない方がいいです。

2個の網目状の球体は糸によって赤い棒の両端から吊られていますが、その赤い吊り天秤棒は真ん中ぐらいの所で折れ曲がっていますね。
確か以前は真っ直ぐだったはずなんです。そして、2個の球体は同じ高さではなかった…  ある程度の高さの違いを保ちながら、ユラリユラ~リ、かなり絶妙なバランスだなあ、そういう記憶があります。

これは50cmくらいの高さの所に置いてあるのですが、実はあるとき、うっかり触って落としてしまいました。
しまった~! 慌てて元の位置に戻したのですが、あれ、吊っていた赤い棒は確か真っ直ぐだったよ、そう思いましたけど真っ直ぐにはしませんでした。
球体の内側でもバランスを取っていることに気がついたのはつい最近という疎さですし、真っ直ぐだったのか曲がっていたのか確たる自信はないし、ポキッ!が怖いです。

知らんぷりして生活していますが、気がついてるのかついてないのか、これに関しては争いは起きていません。唯一の目撃者・息子は年に2回くらいしか帰ってきません。微妙なバランスが取れています。

日常の生活においてはバランスが大切です。
心・体、食事、仕事・報酬、権利・義務、保険金・掛金・貯蓄額、欲望・充足・理性、会話、その他何でも程よいバランスが取れていれば穏やかな時悠生活を送れます。
あるときそのバランスが崩れたら… 連鎖反応で他にも波及し、そして…
そうならないように、常日頃から何でも言い合える・理解し合える、そういう関係でありたい… というのは理想であって、現実は時々バランスが崩れ、でもそれをどうにか修復してまたバランスを保ち、そのうちにバランスが大きく崩れたら。。

何を言いたいのか理解できないであろう・バランスの取れない内容の五差路に時々迷い込んでいます。ご勘弁を。

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絶妙なバランス保ち 幸せはいつまで続く 時悠生活 (赤い吊天秤棒は折れ曲がって..)
弱く吹く ユラリユラリと動き出す 強く吹く 吊り糸絡み 汗
 

入院 !?

昨年の秋のことである。ご近所の奥さんから聞かれたそうだ。
「ご主人、入院された(されてる)んですか?」
え?!、私はこの通り、普通の生活を送っているよ。

テレビを見ていると、容疑者の顔写真が映し出される。Facebookの写真が使われることもある。罪を犯すつもりはないがそういう形でFBの写真を使われたくないな。
義理で付けてくれる いいね! そのお返しをしないと義理に欠ける?。
この際、終活の一環としてFBアカウントを削除、とFBにおさらばした頃の入院話である。
これは私の推論であるが、私が突然FBをやめたのを不思議に思ったFB友が私の近所に住む友に尋ねたら、いつの間にかその友の奥さんとの話の中で私が入院となった、ということではないだろうか。

最近、シニア友の一人からメールを頂いた。
「入院とお聞きしましたが体調はどうですか」
シニア友s とは一緒に学んだり行動したりしてきたが、今春以降、私がパタッと参加しなくなった。
私よりずっと年上なんだけれど、みんなの行動についていくだけの体調に自信を持てなくなったからである。そしていつの間にか、みんなの間では私が入院していた??…。
それを心配してくれたのであった。まだ入院してないよ、早速、返信した。

あぁ、入院話が1年間で2回も。でも、
ご無沙汰していても心のどこかで気にかけてくれている友。嬉しいことである。

もし入院するなら暖かいときがいいな。そして、あちこち悪くなったところを治したい。
評判のいい病院・先生を誰か紹介してくれないかなあ、ホント。

最近、車の運転が荒くなった、性格がさらに悪くなった、と言われた。
性格までは治せないなあ。治せるんならもうとっくの昔にいいおじぃさんになってるよ。
車の運転はともかく、性格の件に関してはそのまま言い返してあげたい。

(この記事は 別ダイアリー(後ろ向き)とりあえず書いてみる に載せようと思ったのですが、この程度なら読後不快感はまだ少ないですよね)

一人、旅

「ただいま」と言ってもその返事はない。
「誰もいるわけないよな」とつぶやき、さて、何しようかな。
時間はたっぷりあるはずなんだけど、いつもと違う生活。
やるべきことがないわけではない。何から手をつけていけばいいのやら。

身体を鍛えても優しくはなれないかもしれないけれど、優しい人であり続けるためには、基礎体力が必要なのだと思う。 - いつか電池がきれるまで

確かにそうだと思う。
体力が落ちれば心にも余裕がなくなる。つい、荒げた言動になったりもする。
それは分かっているんだけど、受ける側としては・・
・・と勝手なことを言っているが、私自身、以前は相当荒げた言動をしたこともあった。
年をとって少しは丸くなった(と思う)。今になってはもう遅いけど、反省。

独り身はいいなぁ、一人旅ができて、と思ったこともあったけど、いざ一人になってみると・・今ではやっぱり寂しいね。
そうだよ、道南旅行のとき、列車1両にたった1人というのが結構長い時間続いて、それ以降、それまで好きだった一人旅は止めたんだろうよ。

一人旅もいいけど二人旅もいい。家族の旅行もいい、グループ旅行もいい。
旅のできるときに旅をしておこう。そして楽しい思い出をたくさん作っておこう。体力のあるうちに。
子は親元を離れて二人となり、そしていつかは一人となる。

私の怖いもの

怖いものといえば「地震雷火事親父」と言われたりするが本当に怖いものって何だろう。

子どもの頃は確かに親父は怖かった。
いつも怒られていたわけではない(叱られてはいたけれど)。ある時、何か口答えしたら 鼓膜が破れたんじゃないかと思うくらい一発食らったことがあった。今でも覚えているのはその一回である。この私と違って普段は優しい父であった。

父と母は喧嘩しなかったそうである。いや、喧嘩にならなかったそうである。
夫婦いつも仲がいいというわけではない。何かがきっかけで口論が始まることもある。そんな時に母はプイッと知らんぷりしたそうである。(殴れるもんなら殴ってみろ、くらいは言ったらしい・・本当に殴ったら取り返しがつかないことになるから殴らなかったみたいだ。)
母は祖母から「男ってものはどうしようもないときがあるから、そういう時は女の方が一歩下がって知らんぷりすればいい・・」ようなことを聞かされていて、それを実行していたようである。
父は時々言ったそうだ。「お前はずるい。喧嘩しようにも知らんぷりして逃げてる」と。
(我が家とは違うなぁ。時代も違うけど。)

近くで火事の起こった記憶はない。火の元に十分注意すれば火事は防げると思っている。
外部から受ける火事は自分では防げない。でも、その確率は低いと思う。

雷、これは怖い。ここに移り住んで知ったのは雷が多いのとその怖さ。
光ってから数秒だからまだ遠くだ、と言ってるうちに、ズッス~ン、とてつもない地響きがした。ピカッ! 近くの鉄塔に雷が落ちた。カーテンを閉めたってその怖さは変わらない。でも、稲妻を窓から眺めるのが好きだったりする。
雷で停電になったことがある。あぁ、真っ暗だ、と玄関ドアを開けてみると、あれ、他の家には灯りが・・我が家の屋外のブレーカが飛んでいたのであった。
雷が近づいてきたら懐中電灯は確認しておこう。

雷は会社(建物内)で働いてる時も怖かった。
避雷針はあっても誘導雷がある。設備障害が発生したらそれを速やかに復旧させなければならない。いつ、どこに、どの程度の被害をもたらすか・・夜勤なんか二人だけになる。どうしてくれる。雷は怖かったなぁ。

雷に比べて台風はそう怖くはなかった。自宅は大丈夫かなぁ、と心配しつつ、会社にいれば建物が我が身を守ってくれる。まさか鉄塔は倒壊しないだろう、と。
どういうわけか、台風がやってくるのは私の夜勤の時が多かった。
ある晩、電話がかかってきた。「(墓場の近くで)火の玉が見えた。」
連絡を受けたのでゴム長履いて傘持って外へ出た。こりゃ無理だ、帰ってこれなくなる。
風が弱まってから現場へ確認しに行った。火の玉はなかった。設備にも異常はなかった。
台風の怖さランクは会社を辞めてからいくつか上がった。

地震、これはいつ襲ってくるか分からない。これまでに経験した大きな地震は二つ。
もっと怖いのは津波。一切合切なくなってしまう。

怖いのはやっぱり「自然災害」、そして最近思うようになったのが「病気」、怖い。

卒業

昨日、四十数年ぶりに「卒業」という式に参加した。
卒業はこれまでに何回か経験している。卒業しようとしても呼び戻され、もう一度卒業を心掛けてもまた呼び出され、数回繰り返した末にやっと卒業できた..禁煙。

今回はそれではなく、一応、学びの場であった。
試験はなかったけれど抽選はあった。
申込み20名、当選は抽選に参加した者のみ有効で15名、当日の抽選参加は18名、つまり、普段のくじ運が悪い私でも当選しそうな確率。
とは言いながら、高倍率の抽選に昨年も外れて今年やっとだよ、と言う者もおり、私は運が良かったのだ。

「くじ運」https://maruyosi.hatenablog.com/entry/2013/06/05/174445

他学年に比べて平均年齢が高く入学時点で年長70から年少は私よりちょっと若いだけの者まで、また、出身も青森から鹿児島までの、昔はお嬢さんお兄さん今は素敵なおば(ぁ)さんおじ(ぃ)さん(私を除く)15名であった。
学歴職歴関係なしだが経験豊かな人生の先輩、優しいお姉さんお兄さん方であり、楽しく付き合わせていただいた。
それにしても皆さん、いろんな趣味特技をお持ちであった。何も持たぬ私は場違いの学びの場へ足を踏み入れてしまった、と少々反省した次第である。

我々の一年後輩を最後に、評判の良かった(と私は思うが)その学びの場は閉じることになった。全7期、ちょっと寂しい感じがする。

今回の卒業で終わらず新たな学びの場を求める者、趣味やボランティアに励む者、人それぞれ生き方は違うが、一緒に学んだ仲間としての付き合いはこれからも続く。
私? 私は「時悠生活」。そして次は人生の卒業式。いつになるかなぁ。

3年間、実に早かった。

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今週のお題「卒業」)